第一章 第一話『漆黒の魔女』 弟切先輩――弟切一弥 (オトギリカズヤ)はオレの大切な親友だった。 幼い頃からの付き合いで、小中高と一緒。そんな竹馬の友である先輩が、一ヶ月前急にこの世を去った。 ――享年18歳。 通っていた高校の屋上から転落死した、もしくは転落死させられたのだ。 しかし、先輩が逝去してもうすぐ一ヶ月も経とうとしているのに、警察は未だこの事件の真相を掴めずにいる。他殺なのか自殺なのか、単なる事故死だったのかさえも有耶無耶なままだった。 無論、オレは他殺だと睨んでいる。まず、オレが見る限り自殺する動機が見当たらない。 では事故死はどうか? 屋上のフェンスはしっかりしていた。故意に上らなければ、屋上から飛び降りる事は出来ない。よって事故死は限りなくゼロに等しい。暗愚な考えだ。 ならば、他の階から墜ちたと言う事は考えられないだろうか? それは無い。目撃者がいるからだ。 目撃者曰く、 「何かから逃れて慌てて落ちた様だった」 と言っている。つまりこれは他殺なのだ。 しかし、推測だけでは警察は動いてくれない。故に、このままでは自殺で処理されてしまうのは目に見えている。だからオレは、他殺と決定付けられる程の動かぬ物的証拠を探していた。 しかし、どうして弟切先輩が殺されなくてはならなかったのか? そして、どうやって殺されたのか?
やはり全ては謎のままだった。 今宵の夜空は、秋風に乗った雲が西から東へと忙しく動いていた。今夜は満月が出ているため、空がいつもより明るく感じられる。 そんな秋の澄んだ冷たい夜の大気が、冷たく輝く月を露骨に美しく見せかけている――オレは今、弟切先輩が事故死した学校、霞ヶ崎高校の屋上にいる。 広報部に所属するオレは放課後、部長の命令で壁新聞に必要な大判用紙とマジックペンを買いに、駅前の通りまで買いに行かされていたのだ。その結果、夜遅くまで壁新聞の製作に時間を費やしてしまった。 夜――部活帰りに寄ったのだが、特にいつもと変わった事は何も無い。強いて言えば、本格的に秋になり、ますます夜風が肌寒く感じられる様になった事ぐらいだ。 弟切先輩が最期に見たであろう風景。そこに先輩の死に繋がる何かが隠されていないかと、オレはいつも帰り際にここへ立ち寄って探っている。 ――弟切先輩は部活の先輩で、オレの兄貴みたいな人だった。 「この世には知らなくても良い事ってあると思わないか?」
事件が起こる約一ヶ月前、先輩が突然妙な事を口走った事を覚えている。恰も事件を予感していたかの様で、幾分訝る様な言い草だった。 あれは確か、学校の帰り道の事。更に先輩はこう付け加えてきた。 「世界の裏側は何とも秩序に保たれていて、逆に表側は混沌に満ちている。表しか知らない人間が裏側を興味本位で覗き込む事は愚かな事だと思うか?」 その時は気にもしないで、オレは適当に生返事を返しただけだったが、今思い返せば確かに妙だ。 ――先輩の言う『知らなくて良い事』とは具体的にどんな事なのだろう? 頭の隅から突如躍り出た記憶。まるでその部分だけぽっかりと抜けていたオレの記憶が、何故今となってこんなにも気になり出したのだろう?
しかし、今は先輩の言う『世界の裏側』と『秩序と混沌』、この二つの謎めいた言葉に隠された真実を知りたい――そう思った刹那、オレはハッと閃いた。 『表しか知らない人間が裏側を興味本位で覗き込むのは愚かな事だと思うか?』 先輩のこの言葉は、今のオレに当てはまる。 つまり先輩は『表しか知らない人間』であり、そんな先輩は『世界の裏側』の『秩序』を『興味本位で覗き込む』と言う行為を通し、『知らなくて良い事』を知ったが為、命を落とした……と言う事になる。 いわゆる、 「口封じ……か」 オレは夜空に浮かぶ満月をぼんやりと見ながら呟いた。 しかし一体誰が、何の為に、何故……。もはやその答えはもうここには無いのかもしれない。 そうオレは思い、諦めて帰ろうとした時、 「貴方、捜し物かしら? だとしたら、もうここには貴方の望んでいるものは、何も残ってないわよ」 突然、艶やかな女性の声が闇夜に沈む屋上に響き渡った。 「だ、誰だ?」 オレの誰何に姿を見せない謎の女性は、クスクスとただ嘲笑うだけ。こちらから見えない事を棚に上げて、高みの見物と言ったところだろうか。 オレは目を凝らして、見えぬ何者かを見ようと試みる。 「あ!」 するとオレの視点の先に、見知らぬ女性が座っていた。その姿は遍く闇に近い。いや、寧ろ同化している。 恐らく歳はオレより少し年上だろう。その女性は漆黒のドレスに身を包んでいる為、幾分大人びて見える。 抜群のスタイルと整った美麗かつ艶美な顔立ちは、まさに『漆黒の魔女』と言ったところだ。勿論、この高校の生徒ではない。第一、オレの高校は紺の制服、つまりはブレザーと定められている。 彼女が座っていた場所はちょうど、三階に降りる階段のあるドアの入口。その細く美しい美脚をゆらゆらと揺らしていた。 「貴方ね。兼ねてより噂されていた『例の少年』とは」 彼女は音も無く着地すると、こちらの方に近づいて来る。『例の少年』? 一体何の事だ? 「誰だよ、お前」 「あら? 名前を訪ねる時はまず自分から名乗るんじゃなくって?」 艶笑を浮かべながら意地悪そうな言い回しで、彼女は逆にオレへと問い掛けてきた。 「オレの名は、春日良(カスガリョウ)。この高校の二年生だ。これで良いのか?」 オレが素っ気無く答えると、この不思議な女性はくすりと艶冶な微笑を投げかけた。 「私の名は、レアリア=ネイディルト。一応これでも東洋人の血が流れているのよ」 そう言うと、彼女はフェンスに寄り掛る。 ハーフか……確かに、そんな感じを思わせる顔付きだ。どこか西洋の上品な顔付きに東洋人の美しさを交ぜた様な顔である。 それでもなお西洋人の血の方が強いらしく、その長い髪は金髪で瞳も蒼い。 「で、レアリアさんは何の目的で学校の敷地内に入って来たんだ?」 確かに不思議な事だった。今の法律に言わせてみれば不法進入に当たる。 それに昇降口は今の時間帯オートロックで、中からしか出入り出来ない。まあ、体育館側や職員玄関、下手すりゃ窓からでも侵入出来なくもないが。 「特に目的は無いけど、貴方が本当に『彼の者』かどうか、ちょっぴり気になったから様子を覗いに来ただけよ」 先程から彼女の言う『例の少年』や『彼の者』とは一体何の事なのだろう。 首を傾げているそんなオレに向かって、彼女は馴れ馴れしく話し掛けてきた。 「ねぇ、良。さっき貴方が口にしてた『口封じ』なんだけど、あの弟切一弥と言う男を殺した犯人、知りたい?」 その言葉にオレはぎょっとした。 それは先輩の死の延長上にある謎であり、かつオレが求めていた答えでもある。 そうして彼女は、オレに興味を持たせたところでゆっくりと、しかし確実に四文字の言葉を並べいった。 「わ・た・し・よ」 その時、彼女の蒼い瞳がオレには光って見えた。 突然過ぎる告白にオレは隙だらけで、直撃した一言に受け身すら取れずに吹っ飛ばされたと言う感じだ。 今日初めて出会った見ず知らずの女性に、いきなり『親友を殺した』なんて言われれば誰だって躊躇するだろう。それが当たり前の反応だ。 「レアリアさん、冷やかしは止めてください」 嘘に決まってる――オレは表情に困りながら、そう頑なに思っていた。 「嘘じゃないわ。本気で言っているのよ」 信じたくはないが、彼女の表情から推測すると、どうやら本当らしい。 「ま、まさか本当に貴女が?」 「ふふ」 オレの問いに確信の笑みを浮かべる彼女を見て、オレはわなわなと体が無意識に震え出した。 「なんでだよ……」 慨嘆しながら、慨然としているオレが震える声で言えた言葉はそこまでだった。 「まぁ、一言で言えば邪魔だったからよ。弟切一弥は、私達のとある計画の存在に気がついた。私達は外部にその情報の流出と妨害を恐れたから、彼を死に追いやったの。それだけの、簡単かつ明瞭な構造よ」 彼女の自信に満ちた雰囲気に、オレは怒り、悲しみ、そして一刹那の内にそれは滑脱と変貌する。憤慨が私怨と変化し、やがて殺意へと転化した。 「ふ、ふざけるなぁ」 その時、オレの中で今まで束縛されていた何かが突如解放された。『それ』は、あらゆる手段と全ての自由を手に入れ、思うが侭にオレを操る。 無意識の内に、オレは鞄から短刀を取り出す。白金に光る短刀は、今は亡き母親の形見だ。 「私を殺せるとでも思っているの?」 そんなオレの様子を見て、彼女は自信たっぷりと言う表情を見せる。 「黙れぇ」 オレは問答無用に彼女目掛けて短刀を振り下ろした。 ――ガツン。 金属同士が擦れる戞然とした金属音と共に、フェンスの金網が奇麗に両断される。 しかし彼女は、人間とは思えない程の跳躍力で自分の身体を上へ持ち上げ、空中でくるりと一回転すると、綺麗に弧を描きながらオレの真後ろに着地した。 「何とも物騒ね、オリハルコンのダガーなんて振り回して」 涼しげで韻致な笑みを浮かべ、彼女は腕を組む。 「オリハルコン?」 オレは彼女がとやかく言う短刀を、ちらりと眺めた。 「神々の創りし金属、オリハルコン。地上最強の金属と謳われたあのミスリル銀をも越える金属よ。もっとも、今の今まで私ですら現物を真近で見た事は無かったけど」 「そんな事、今のオレには何だろうと関係ないな」 オレはそんなオリハルコンやミスリルと言った、意味不明な物質等どうでも良かった。唯、今は奴の命に餓えている。それだけだった。 「うぉぉ」 向きを変え短刀を逆手に持ち替えると、再び彼女目掛けて否応なしに斬り掛かる――その瞬間、彼女のその表情からは軽侮した笑みすら覗えられた。 ヒュッ、ヒュッ、とニ、三度空を斬る乾いた音が、索漠とした空寂な屋上に響いた。 彼女は恐れもせずに軽捷なステップで、オレの刃から逃れる。そしてオレの隙をついて短刀を持っていた手首を掴むと、みしりと骨が鳴る程の強力な握力でオレの手中から短刀を地に落とさせた。 そのまま彼女は、オレの体をありったけの力で投げ飛ばす。 オレは3メートル先まで吹き飛ばされ、フェンスに直撃するとようやく勢いは止まった。 「がはっ、ごほごほ」 オレは込み上げる胃液を吐き散らし、なんとかフェンスに寄り掛かる。 そんなオレの前で、何も無かった様に平然と彼女は短刀を拾い上げると、興味深げに短刀を眺め始めた。 「神々が創造したこのオリハルコンの短刀に、斬れないこの世の物質は無い。物も人も鋼もミスリルですら……。果ては身も心も傷付けるわよ。限度を知らない物はいつか暴走する、故に止める術が無い。危険過ぎるのよ」 まるで説教だ。 オレはそれでもよろよろと立ち上がる。 「返せよ、それ。オレの母さんの……、たった一つの形見なんだ!」 しゃがれたオレの声を聞き、彼女は目を細める。 「良、今の貴方は本当の自分が見えていないもの、これを使い熟せはしないわ。だから今はまだその短刀を使う時じゃない。まして、形見の品なら直更よ」 しかし、その時のオレは彼女の忠告等どうでも良かったらしく、手から離れた形見の短刀を欲していた。 「返せ……返せぇぇ!」 それはまるで、ある一種の麻薬に溺れたかの様にも見える奇妙な執着である。 そしてそのままオレは彼女に駆け寄ったのだが……。 「――――っ」 突如脳内に響き渡る、超音波にも似た不協和音。それは何かのノイズに近い、不快な音色だった。 オレは思わず耳を塞ぎながらその場に座り込む――キリキリと頭が痛い。何なんだ、この音は? 見れば、そこには何か優雅に歌を歌っている彼女がいた。 口から発せられている、その見えない《ヴォイス》の音波に脳が異常をきたす。どうにもならない頭痛に目の前が歪み、オレは奇声を上げながら呻き回っていた。 《もっと視野を広く持ちなさい。そうすれば、貴方が探している『見えない物』も見えてくるかも知れないわ》 掠れてゆく視覚と遠退く聴覚……。 気絶寸前の不協和音の最中、オレの脳内に直接聞こえてきたのは紛れもない彼女の声だった。 ――オレはこのまま死ぬのか? 先輩もこうして殺されていったのか? ああ、今のオレには何も見えない……。 |