第二章 第十一話『れみの幻影』

 

――彼女には明確な意思と明瞭な意志がある。

今までの冷徹な儡人形と違って彼女の様な者には、奴等『世界秩序機関』の狂ったやり方は務まらなかったのであろう。

故に精神的に追い詰められた彼女には『他殺願望』の燈より、『自殺願望』の燈の方が強かったのかもしれない。

或いは、何か悩み事でもあるのだろうか。だが、流石に私でもそこまでは分からない。

ただ理不尽な事に彼女は自分の心を偽りで固め、無意識の内に自分の自殺願望を頑なに否定している。しかし、否定すればする程、露骨にそれを表している事に彼女が気付く筈も無い。

そんな、必死に己の死に場所を探している彼女に、安楽の地を与えるのが『死神』としての(本当の意味での)私の役目なのかも知れない……。

 

 

彼女は閑暇を与えず横殴りに剣を振る。私は豊かな跳躍力を使って真上に回避し、彼女がそれに続く。飛翔、斬撃と、滞空のさなか第二撃が私を襲い掛かるまではそう時間は掛からなかった。

「空中では避けきれないわよ!」

私の体に氷の刃が届くその刹那、彼女は瞳を烱烱と輝かせながら歓呼した。

「避けきれないのであれば、迎え撃つまでだ」

一方、迎え撃つ私はそう言い捨てると、襲い掛かる氷の剣を体で受け止めた。無論、痛みなど無い。唯、深く食い込み身を貫いた剣が私を構造している《物質化現象(エクトプラズム)》を解き、身体への損傷が増した事は否めなかった。

しかし、事の結末はそれだけでは終わらない。

「掛かったな」

私が微かに嗤笑すると、ようやく奴も私の策略に気付いたらしい。「しまった」と、奴の表情が戦慄で凍てつくのを見て取れる。

そう、わざと体を傷付けたのは奴との距離を近づける為。隙を窺っていた私にとって、正しく千載一遇の機会と言える。

狙うは奴の右肩――『終命死点』はそこにある。

「散華せよ、亡霊(ファントム)!」

私の掛け声と共にすかさず撃ち込む手刀。これで戯れ事も終局を迎える……筈だった。しかし、

「散華する(くたばる)のは貴方の方よ!」

奴は左手を私に向けて翳すと、瞬時に細長い長剣を作り、突き刺す形で胸に向けて放った。造型した奴の剣は約1メートル弱。これでは手刀は届かない。その分だけ私と奴は一気に乖離し、そのまま二本の剣を突き刺された状態で私の身体は地に叩き付けられた。

「おのれ」

嘆いても後の祭り。結果的には手刀は届かず、更に身体への損傷を酷くしてしまった。

私は直ぐに立ち上がると、二本の刺さったままだった氷の刃を引き抜き、地に捨てる。そして素早く間合いを計り、再び奴と対峙した。

「はぁはぁ、中々しぶといわね」

ここにきて、ようやく奴は疲れを見せ始めた。それよりも限界に近付いたと言った方が良い。ふらふらと足取りが覚束ない。

「どうやらお疲れの様だな、亡霊(ファントム)」

平然としている私と違い、奴は厳しい表情を浮かばせている。

「来ないのならば、今度は私から行くぞ」

私は素早く身を翻し、奴に向けて一気に間合いを詰めた。奴もまた、それに従い氷のナイフを造型し、身を構える。

疾風の如く、突き出された死の手刀が奴の体を襲う。しかし、彼女はそれを滑るように躱す。私は反転し、今度は背後から奴の右肩を狙った。

だが、そこに待っていたのは氷の刃。

辛うじて避けたに過ぎなかった奴は、最後の力を振り絞り、振り向きざまに無数のナイフを私に向けて投げ付けた。

それは正に死に際の一撃に等しい。

私は立ち止まり身を屈めた。その私の頭上を数本の刃が掠める。そして直ぐに立ち上がり、奴の姿を確認した。

すると彼女は、アスファルトに掌を付けてしゃがんでいた。

「『能力』には、こう言う使い方もあるのよ」

その刹那、奴の掌から煌く青白い閃光が迸しった。

その冷気を帯びた凍てつく閃光は、地面を這う様に私に向けて延びて襲い掛かる。

「!」

咄嗟に危険と私は判断したが、もはや間に合わない。そもそも、距離が短かったせいもあり思考したところで行動には移せなかったであろう。

その光りは私の目の前まで来ると、いきなり左右に枝別れした。そして、寸秒の内に私を囲んだそれは一気に分厚い氷の壁を作り上げ、氷のドームの中に私を閉じ込めた。

「亡霊(ファントム)、これはどう言うつもりだ?」

氷の壁越しに私は奴を睥睨する。

「そのうちこれは溶けて無くなるわ。でもその間に、私は逃げさせて頂くけどね」

彼女は「はぁはぁ」と、疲れきった闘牛の如く荒々しい息遣いで答える。

「さよなら」

亡霊(ファントム)は力なく嘲笑しながら、くるりと踵を返し私に背中を向けた。そしてそのまま奴は、ふらふらと千鳥足で夜の闇夜へと姿を消す。

私は唯、その後ろ姿を凝然と見詰める事しか出来なかった。

 

 

――数分後、私を覆っていた氷のドームは、魔法が解けた様に霧となって、跡形も無く溶けてしまった。

「やれやれ、私も随分酷くやられたものだ」

晴れて自由の身と成った私は、自分の身なりを見ながら他人事の様に呟いた。

確かに左腕は失い、体には大きな刺し傷が二つ。全身には裂傷と凍傷。その他切り傷、擦り傷……と、気がつけば、傷だらけの体になっていた。これが生身の人間ならば、死に至っていてもおかしくはない。

「全身損傷率(ダメージレベル)47%……。物的霊力(エクトプラズマー)修復日数は2週間程……」

次々と送られてくる情報に、私は頭を悩ませていた。これでは医者に絶対安静を告げられている様なものである。

しかし、背に腹は変えられない。己の死活問題である以上、放って置く訳にはいかなかった。

「仕方ない」

私は月光の当たらない物陰に身を置く。

調度よく、私の足元にマンホールがあったので、そこに本体――『影』――を隠せると思ったのだ。

「これより、自動操作(オートモード)に切り替える。幻影(ヴィジョン)消去後、マンホールに移動開始。移動後、記憶(メモリー)抹消。ただし、随時記録(バックアップ)は擁護(ガード)せよ。全ての任務(プログラム)が終了次第、霊的物質(エクトプラズマー)の吸収及び幻影(ヴィジョン)の補修に移る。完了次第、再起動せよ」

淡々と私は、私自身に今後の計画を告げてゆく。

それにより、私の身体は自動操作(オートモード)に移され、着々と任務(プログラム)が遂行されつつあった。

――やるべき事は、まだ残されている。後は次の代の『私』に任せるとしよう……。

私は暗渠へと続くマンホールの中へ身を沈めた後、最後の任務(プログラム)が実行に移された。

 

(もう直ぐ『私』と言う存在はこの世から消えて失くなるだろう……)

 

――徐々に記憶が消され、薄れてゆく意識の中でぼんやりと私は考えていた。

もともと私には魂と言う物があるのかどうか解らない。唯、己の記憶が失っても記録だけは残る。その辺りが、私の魂や死(と、言える可きかは分からないが)と言う物を有耶無耶にしているのだと思う。

それが『私』と言う者であり、それが『私』の運命。そして、誕生しては消滅を繰り返すという哀れな存在なのだ。

 

こうして私は眠りについた。

二週間後、再び『私』ではない『私』が、目覚める事を夢見ながら……。

 

――そう、それは奇しくもロストと春日良が出会う二週間前の事だった。

 

 

――あれから一週間後。

私は学校帰りに、再び霞ヶ崎駅前の通りを訪れた。この前逃した心臓狩りの任務を遂行するために。

夏と違って秋の日の入りは早く、すぐに暗くなるので行動はし易いと言える。

ネオンの光りが溢れ出す商店街。どこかもの寂しい空間に隙間無く詰め込み過ぎた社会。そんな空寂街の中を、私は生贄を探す為にゆっくり歩きだす。

幸い学生層を中心に人の数はそれなりに多かったので、健全な心臓を持っていそうな犠牲者を見つけるまでは強ち苦労はしなかった。

――今回の生贄は、私の前方を歩きながら携帯電話を弄っている金髪の女子高生。密に獲物との距離を縮めてゆく。そして遂に彼女は、死の罠が張り巡らされた暗黒の隘路へと差し掛かる。

(来た……)

蜘蛛の巣へはまる蝶を眺める様に、私は凝然と事の顛末を見つめていた。しかしその時になって不意に制服の内ポケットで携帯電話が震動し始める。

私は仕方無しに、急いで携帯電話を取り出した。ディスプレイが表示している着信は、明からのものだった。

「もしもし」

『あっ氷護、今暇? 今、親が居ないから、良かったら一緒に勉強しない? 数学解らない所あって、教えてもらいたいんだけど……。あ、夕飯の心配は要らないよ。こっちで用意するから』

「えーと」

懸命に勧誘する明の声を聞き、私は口篭りながら返答に迷っていた。

仮にもし、明のマンションに向かうとするならば、もう直ぐ発車する東霞ヶ崎駅行きの電車を逃すと、大幅に遅れてしまう……。

私の心の中では、このまま任務を続行するか否かで一瞬躊躇したが、直ぐに一つの答えを見出だした。

(明に会いたい)

それが率直な偽りのない私の気持ちでもあり、明に嫌われたくないと言う想いでもあった。

「ええ、良いわよ。今からそっち向かうから」

急遽予定を変更し、私は顔を綻ばせながら急ぎ足で駅へと向かった。

又してもは心臓を狩れなかった。

しかし、今回は狩らなかったと言った方が表現に適している。それは私にとって、任務より彼氏を選択した愚かな私を表していた。

――そんな間違った取捨選択の積み重ねが、私を死に近づけているなど、恋に溺れたこの時の私に分かる筈がなかった。

 

 

月光が差し込む今宵の夜空は、もうすぐ訪れるであろう冬の予感を微かながら懸命に露呈している。そんな零れ落ちた光りの施しが、路地裏の晦冥の中で二人並んで歩く影を映し出ていた。

「明の作ってくれたグラタン、美味しかったよ!」

私は笑顔で明の顔を覗き込む。

「あぁ、良かった。料理作るのは苦手じゃないんだけど、正直、今日のグラタンは自信無くて不安だったんだ」

明も安堵した笑顔を私に返してくれた。

今日の勉強とは名ばかりで、それは寧ろデートに近かった。

明のマンションに向かった私は、明のお手製のグラタンをご馳走になった後、勉強を始めたが直ぐにお開きとなってしまった。

 

――今こうして明は、私のアパートまで、私の為に夜間のデートを兼ねて送ってくれている。

『今、猟奇殺人が世間を騒がしてるから見送るよ』

明はそう言って聞かなかった。しかし、その犯人が隣で歩いている私だと知ったらどうしよう?

それでも私は嬉しかった。明といれる時間を大切にしたい。有り触れた毎日を変えてくれた彼が、今の私の全てだった。

「ありがとう。誘ってくれて」

私のアパートが見えてくると、私は立ち止まりそう明に伝えた。

「ううん、俺の方こそ無理言ってごめん」

「いいの、気にしないで。それじゃ明、おやすみなさい」

「うん、また明日駅で」

そんなやり取りをニ、三交わした後、明とはそこで別れた。今度は私が闇夜に消え行く彼の背中を見送る。

その後、自分の部屋へ向かおうと足を進めたその時、誰かが私の前に姿を現した。

「氷柱(つらら)も溶ければただの水。鋭利さも無ければ、その凍てついた美しさも無い。恋に溺れて心臓すら狩れぬ様だな、亡霊(ファントム)?」

聞き覚えのある声に黒いロングコート、そして絶大なる邪悪な存在――フェハードが、幾分揶揄するかの様に不敵な笑みを浮かばせながら、私の前に立ちはだかった。

「フェハード様……」

突然の事に、愕然としている私の恐怖に満ちた声。頭が真っ白になり、それ以上言葉が続かない。

フェハードの鋭利な眼差しが、今までの幸福に浸っていた気持ちを一瞬の内に喪失させてしまった。

「フッ、今日のところは見逃そう。だが、私の闊達もここまでだ。もし、今後あの男と一緒に居るような事があれば、奴を殺す。目の前で『処理』されるところを見たくなければ、今後一切、奴とは関わりを持たぬ事だな」

そうフェハード様は私に吐き捨てると、くるりと踵を返し再び晦瞑へと帰した。

それは死の宣告に等しい。

私は動かなかった。動けなかった。動こうともしなかった。動く事を許されなかった。

そう、私だけ時が停まってしまった様に……。

 

――こうして、私の幼い恋はいよいよ終わりを迎えなければならなくなった。

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