第一章 第三話『夢の中の転校生』 「『神話時代の終わる時が来た。直に神々は滅するだろう。我は13人目の氷雪の亡霊(アイス・ファントム)なり』か……。新手の宗教か?」 高野光平(タカノコウヘイ)は、その死体の近くに落ちていた血文字で書かれている紙切れを読んだ。 「先輩、犯人は今回の一連の連続猟奇殺人事件と同一人物でしょうか?」 近くに居た筒美紀之(ツツミノリユキ)は、手帳を開きながら高野が持っている紙を覗き込む。 「はっきりとは言えないが、十中八九間違いないだろうな」 公平は「これ、鑑識に回しておけ」と言いながら、筒美にその紙切れを押し付けた。 被害者は若い女性、身元はまだ分からない。現場は人気の無い路地裏だった。死亡推定時刻は、昨夜9時から12時にかけて。目撃者は居らず、第一発見者は早朝に犬の散歩をしていた50代の男だ。 ――高野光平と筒美紀之の両刑事は今回この事件を機に、この一連の連続猟奇殺人の担当へ新たに加わった。 今まで8人もの善良な市民が殺されていると言うのに、警察には何の有力な情報が無く、世間からも激しい批判が飛ぶ。そして遂に、今回9人目の被害者が出てしまった。 狙われた被害者は皆、心臓だけを奇麗に取り除かれていた。今回も例外ではない。 果たしてこの『アイス・ファントム』と名乗る人物は、何の目的でこんな事をしているのか、我々警察には全く検討もつかないでいた。 仮に臓器を取り出し、売る気があるならば全身の健全な臓器を貪る筈だ。だが、犯人は心臓のみ。しかも、医療機材が何も無い路地裏でそんな事をするだろうか? ――となると宗教関係か、精神異常者か……。 「うーむ」 高野光平は顎をしゃくる。 この20年間、いろいろな事件を解決してきたが、今回は犯人に繋がる手掛かりが少な過ぎる。いや、全く無いと言っても良い。とにかく犯人は痕跡を残さない。これでは犯人が単独犯なのか複数犯すら分からない状況だ。 言うなれば、完全犯罪に近い。まさに謎だらけの事件だった。 『心臓を狩る者。その名は氷雪の亡霊、アイス・ファントム!!』 新聞を開くと昨日起きた事件が大々的に掲載されていた。 「連続猟奇殺人?」 オレが首を傾げて読んでいる傍らでは、テーブルに朝食が次々と並んでゆく。 「もう、良君。それじゃ雅也様と同じじゃない。見る時は朝ご飯食べてからにしてください」 と言って御飯茶碗を差し出してきたのは、家政婦の古宮乙女(こみやおとめ)さん。若くて美人で魅力のある女性だ。 オレの父さん――春日雅也(カスガマサヤ)は大手通信会社に勤めているのだが、アメリカの支社に出張の為、半年間の間は古宮さんに家の家事の一切を任せている。 そもそも、元々は父さんがオレと成海を父親一つで育ててくれてはいたのだが、父さんの仕事が忙しくなるに連れて家事に手が回らなく成り、3年前から古宮さんが家に家政婦として雇われたのだ。 「はい、分かりました」 恭順しながらオレは古宮さんから御飯茶碗を受け取とると、その旨を伝えて新聞をテーブルの隅に置き、朝ご飯を食べ始めた。 何故かオレは古宮さんには逆らえない。いつもいつも言う事を聞いてしまうのだ。 ――昨日の検査入院を終え、昨夜遅くオレは帰宅した。昨日の検査では特に異常が見当たらなかったので、今日から学校に行く事になっている。 「良君、行ってらっしゃい」 「行ってきます」 古宮さんの笑顔に見送られ、オレは彼女に言い残すと高校へと向かう。成海はいつもオレより30分も前に出るので、一緒に登校するという事は滅多にしかない。 まぁ、単にオレが寝坊しているだけなのだが……。 「お、おはよ。良君」 家を出て程なくすると、聞き慣れた女性の声にオレは足を止める。 「おはよう、小夜」 そこには、黒髪のどこか弱々しい白い肌の少女が立っていた。制服が同じなので高校生と分かるが、下手すりゃ小学生だ。と思われる程、背が小さく幼さが残る顔付きをしている。 彼女の名は中里小夜(ナカザトサヨ)。オレとは中学以来の仲で、今高校二年生である。言ってはおくが、決して小学生ではない。 「昨日どうしたの? 急に学校休んで?」 小夜がオレの隣に並ぶと少し心配そうに訪ねてきた。 「ただの検査入院だよ」 オレは気軽に答えると、「ふーん」と小夜は小さく頷いた。 こうしてオレ達は、二人並んで高校へ向かっている。とは言っても、途中で一人加わるのだが。ほら、噂をすれば何とやら……。 「おっす、良。小夜ちゃん」 霞ヶ崎駅の前まで来ると、そいつは突然声を掛けてきた。 オレ達の前に現れたのは制服をだらし無く着こなした茶髪の男、高見健一(タカミケンイチ)だった。 「おはよう、健一」 「おはよ、高見君」 こいつも小夜と同様に中学からの仲だ。 「良、昨日は何したんだ? サボりか?」 健一はオレの肩に寄り掛かりながら訪ねてくる。 「高見君、検査入院したんだって」 嫌がるオレに変わって、横から小夜が答える。 「へぇ。羨ましいぜ、まったく。こっちは一日中かったりぃセンコーの授業ばっか、聞かされてたってのによぉ」 「良くなんかねぇよ」 当たり前だ。こっちは一日中病院内をうろうろ彷徨しなければならなかったんだから、『少しはこっちの身にもなってみろ!』と、心の中で披瀝を述べても何も成らない。 ――と、いつもこんな感じで、毎日ダラダラと好きでもない高校へ通っているのだ。 ――何かの縁なのか、オレ達は皆同じクラスである。2年C組だ。 朝はいつもは静寂な教室もこの日に限って、オレ達が入るや否や教室中はある一つの話題で騒然となっていた。 「おいおい、一体何があったんだ?」 健一は早速、他のクラスメイトに何があったのか事情聴取へ向かう。 辺りから仕切りに聞こえてくるのは『転校生』とか『可愛い』とか『このクラスに来る』とか、そんな感じである。 「何だ、単なる転校生か」 オレは自分の席に着くと独り呟いた。 元々、オレはあまり積極的に人に交わろうとする方ではないし、友達と呼べる仲も少ない。 「なんか、転校生が来るらしいね」 そんな独り虚しく居るオレのところに、小夜が何だか心持ち嬉しそうに囁いてきた。 「別に来たから死人が出るって訳じゃないし、多寡が一人増えただけじゃないか。騒ぐ程の事じゃ無い」 「うん……」 オレは自分なりの率直な意見を述べたまでだったが、ちょっと言い過ぎたか? 何だか小夜は、自分の主張を粉々に打ち砕いたオレの否定に、表情を少し悄然とさせた様にも見える。 「良、小夜ちゃん、おはよー!」 その時、オレ達に向かって廊下から大声で話し掛けてくる天衣無縫な声が聞こえてきた。無論、誰かは決まっている。隣のD組の加原夏美(カハラナツミ)だ。 「何だよ、朝から大声で」 「転校生が来るって言うから、見に来たんだけど……」 加原はオレの机まで来ると、そう言って辺りを見回し始めた。 「まだ着てないぜ」 そんな暢気な加原にオレは、意地悪く付け加えてやった。 加原夏美――彼女はオレと同じ広報部で部活仲間だ。 赤茶色の髪に細身の身体。運動神経抜群の彼女が文化部に所属しているのは少々勿体ない気もするのだが、入部の理由が彼女曰く「良がいたから」だそうで(実際本人に聞いた時、そう言われたのだが)、ドキリとする様な事を平気で言う大胆な一面を持つ。 しかし、以前は何かある毎に引っ掛かってきて口喧嘩ばかりしていたのだが、今となっては良いお友達って訳だ。 「おい、もうそろそろ朝のSHRが始まるぞ」 時は既に8時30分を過ぎている。電車通の輩がいそいそと教室に入って来る中、加原もまた自分の教室へ戻っていった。 「加原さん、行っちゃったね。私も戻らなくちゃ」 加原がオレを離れると小夜も自分の机に向かい、先生が来るのを待った。 数分後――担任は、一人の女子生徒を引き連れて現れた。 「じゃあ皆、もう知っているかも知れないが、東京から転校してきた月影久遠さんだ」 「月影久遠(ツキカゲクオン)です。皆さんよろしくお願いします」 と、その女性はお辞儀した。 小柄で細身、ショートカットの黒髪に大きな瞳。俗世間で言う『可愛い』と言う部類に入るのだろう。 ざわざわと一時教室がざわめき騒然となった。 オレも転校生がどんな奴なのか見ていたのだが、不意に彼女と目が合ってしまった。オレは慌ててさっと目を反らしたのだが、 (あれ? どこかで……) 見た様な気がする。 一瞬の出来事の為、単なる気のせいかもしれない。 何だか心がすっきりしないままSHRは終わり、直に午前の授業に突入した。 オレと彼女との席は幾分離れていて、オレが一番後ろの列。彼女は教室の中央付近。そんな彼女の勉強姿を、後方から眺めながら思い当たる節を探っていた。 思い過ごしか、以前に似た人を見たのか、どうも思い出せない。しかし、何となく極最近見た気がする。――それが頭の中で記憶を辿っていった結果だ。 でも、最近と言っても一体いつ? どこで? (あ!) その時、ふとあの夢が頭の中を駆け巡った。 (オレ達は夢の中で出会っている!?) 確かにあの不可思議な夢で遇った幼い少女に何処と無く似ている。 オレは夢ではあるが彼女とは出会っていた。しかし何でまた自分があんな、訳の分からない夢を見たのか、今でも分からなかった。 更にその後出会った謎の女性、レアリア。奴が吸血鬼であった事もあの夢と何か関係があるのだろうか? (隙を見て、直接彼女に聞いて見るしか無いか……) 昼休み――午前の授業も終わり、くだらない拘束からようやく開放された。 オレは屋上に向かう。いつも天候の良い日は屋上で昼飯を食べると決めているのだ。 「先輩、場所借ります」 いつも弟切先輩が座っていた場所に軽く一礼し、腰を降ろして弁当の蓋を開ける。勿論古宮さんの手作りだ。 「あ、やっぱりここに居たんだ」 オレが弁当を食べていると、突然後ろから声を掛けられた。 「なんだ、夏美か」 振り返ればそこには加原がいた。 加原はオレの隣に座ると、彼女もまた弁当を広げる。以前はいつもは先輩と昼飯を食べていたのだが、先輩が亡くなってからは代わりにこいつが来る様になった。 「なぁ夏美、お前は天使とか吸血鬼って信じるか?」 「ど、どうしたの? いきなり」 オレは良く晴れた青空を見上げながら、加原に訪ねた。彼女は少々面食らった様子でオレの方を見つめている。 「決して笑わないか?」 そんなオレも加原の顔を見つめ返した。 「うん、笑わない」 力強く加原が頷く。オレは彼女を堅く信じ、あの夢の事を有体に話した―― ……のだが、 「ぷっ」 アハハと完膚なきまでに大声で笑われた。果たしてこいつは抑制すると言う事を知っているのだろうか? 「笑うな!」 「ごめんごめん。良が真面目にそんな事言うと、何だか可笑しいんだもん」 クククと加原は未だに笑っている。何でこんな奴に教えてしまったのだろう? オレは赤面して忸怩しながらご飯を頬張った。何だか、自分自身がものすごく情けない。 「で、最後はその子どうなったの? 血を吸って殺したの?」 「分からない。分からないけど多分……」 きっとあの後、殺してしまったんだと思う。そうとしか思えない。 「でも、なんか憧れちゃうなぁ、そー言うの。運命の出会いってヤツ?」 「運命は嫌いだ」 オレは素っ気なく言い放った。 「え? 何で?」 「未来は誰にも分からない。唯一、神のみぞ知るって訳だ。だいたい勝手に人の未来を決め付けられてはこまる。でもオレの場合、その神様すら信じていないけどな」 ふーん、と加原は些かつまらない様に頷いた。 「まぁ私も気を付けなくちゃ、いつか良に血を吸われないように。じゃあねー」 そう言うとさっさと弁当をしまい、立ち上がって屋上の入口へと向かう。 「おいちょっと待て、それどう言う意味だ?」 オレが喧嘩ごしに言ったにも関わらず加原は、 「さーねぇ? 自分で考えなさい。うふふ」 と、にこやかに微笑しながら自分の教室へと戻っていった。 「『うふふ』じゃないだろ、まったく」 「はぁ」とオレは、誰も居なくなった屋上で独り虚しく溜め息をつく。 ――時はいつしか、予鈴のチャイムが索漠とした屋上に鳴り響かせていた。 |
|