第一章 第四話『胸に秘めた殺意』 眠気が忍び寄る午後の授業を何とか乗り切り、ようやく放課後へと差し掛かった。 「じゃあな、良」 「ああ、また明日」 健一はさっさと荷物をまとめると、待ってましたと言わんばかりにそそくさと部活へ繰り出して行く。 オレも部活に行く準備を着々と進めていたのだが、不意に手を止めた。 (結局、彼女とは話せず終い。かぁ) よくよく考えてみれば、未だに転校生――月影久遠に話し掛けてすらいない。 ちらっとオレは月影さんの方を一瞥する。彼女は相変わらず独りだった。と言うのも、転校初日と言う事もあって話す相手がいないだけなのかもしれないが、彼女は他人と接触を好んではいないようだ。どこか他人を避けていると言う感じに思える。 何故なのかは知らないが、とにかくそんな気がした。 「良君、大丈夫? さっきから、ボーっとして」 「うわっ。さ、小夜? いつからここに居たんだ?」 突然隣から声を掛けられ、オレは思わず驚き慄いた。 「いつからって、さっきからここに居たんだけど……」 小夜は悲しげな表情でこちらを見ている。あまり存在間が強いと言う方では無い彼女にとって、今の一言は痛かっただろうか? しかし、オレには唐突すぎて言葉を選ぶ余裕なんて無かった。 「良君、もしかして月影さんが……気になるの?」 最後の方は声が小さくなって聞き取れなかったのだが、多分彼女はこんな主旨の事を心配そうに訪ねてきた。 「え? あっ、いや。その……」 オレは返答に困り、口ごもりながら月影さんの方へと視線を送る。 ある意味、気になるって言えば気になってるけど……。 「まあ。そんなところ」 オレは視線を一旦戻すと、今度は小夜の方を向いて正直に答える。 その時オレを呼ぶ声が廊下から響いてきた。 「おーい、良。早く部活行こー!」 振り向けば、加原が廊下から手招きして呼んでいる。 彼女は部活をサボらないようにと、毎日部活へ行く前に立ち寄っては問答無用でオレを強制連行するのだ。 「ああ、分かった分かった。今行くから待ってろ」 急かす加原にオレは鞄を持って、気が進まないまま立ち上がる。 「じゃあ小夜、今日も妹の事、頼んだぜ」 まだ部活に行く気配の無さそうな小夜に、オレはそう言い残して教室を後にした。 良君は私に、最後にそう言うと加原さんの所へと向かった――実は、私と良君の妹の成海ちゃんとは一緒の部活、美術部に所属している。 前へ歩み出した彼を私は見送りながら、独りポツンと自分だけが取り残された気がして胸が切なかった。 良君はいつもこんな私でも一緒に居てくれた。それなのに今までの仲も関係も、一瞬の内に彼女――月影久遠と言う名の転校生に、何もかも奪われた気がして成らなかった。 (何故?) 私の歪んだ感情が次から次へと溢れ出す。 良君も久遠さんも憎んではいけない。憎まなければ成らないのは寧ろこの私自身。 私がもっとアピールしなければ、一生良君は私の気持ちに気付いてはくれないだろう。 ――そう思うと何だか妙に悔しかった。 「今日の活動はここまでです。皆、協力ありがとう」 そう言ったのは我等が部長、如月渚(キサラギナギサ)。その適度な長さの黒髪に知的で優しそうな顔つきの彼女は、今年で高校三年目。 受験生なのに部を引退もせず、広報部を良く支えてくれる優しくて優秀な先輩だ。 「あーやれやれ、やっと終わったか」 今日の活動は以前から製作途中の壁新聞を仕上る事だった。 オレは大きく背伸びをしながら、いかにも窮屈な所から抜け出した様な口調で欠伸をする。 「良君、ご苦労様。でも後片付けもちゃんとしてね」 そんな背伸び姿を見てだろうか、部長がオレに声を掛けてきた。 「ほら、ボサッとしないで後片付け手伝ってよ!」 更に手持ち無沙汰のオレに向かって、今度は加原が文句あり気な調子で言ってくる。 「分かりました。分かりましたよ。今すぐ着手させて頂きます」 オレは投げ遣りな態度で言い返すと、仕方なしに下級生達と共に部室の後片付けを開始した。 部室の掃除が終わり、加原と部長に別れを告げる。 その後、一度教室に戻ったオレは必要な荷物を鞄に詰め込むと、その足でいつもの通りに屋上へと向かった。 時は、校内の時計で5時を少し過ぎたくらいだった。 ガチャ―― 屋上への扉を開けると秋の冷ややかな風と共に、美しい朱色の空と夕日が出迎えてくれる。しかし、そこには普段と変わらない風景に混じって、いつもとは異なった存在が屋上と言う名の誰も居ない空間に、異色の色彩を加えていた。 彼女――月影久遠はオレが扉を開けると、その音に気付いてこちらを振り向く。 「や、やあ。もしかして君も弟切先輩に?」 オレは予期せぬ来訪者に戸惑いながらも、取りあえず声を掛けてみた。 「ええ。弟切君が亡くなってから、もう一ヶ月が過ぎるのね? 早いものね、時間って」 彼女の奥からは、花束と線香が煙りを上げて置かれているのが見えた。きっとお参りをしていたのだろう。 彼女は立ってこちらを向く。無表情のままだったが、心もち悲しげに見えた。 「彼ね、死に際にメッセージを遺してたの。血文字で『オルケア』ってね。知ってた?」 オレは首を傾げる。 「オルケア? そんな話し聞いた事ないな……。そう言えば、月影さんは弟切先輩の事知っているんですか?」 オレは月影さんに歩み寄りながら訪ねた。 「知ってるわよ。だって『仲間』だもの。それに、春日良君。吸血鬼だった貴方の事もね」 「え?」 彼女の哀しみを込めたその一言が、オレの足を止めさせた。 「貴方は私の血を吸ったのよ? 良君は覚えているか分からないけど、たしかあれは貴方が10歳の頃だった。それから私はずっと良君の事を捜し続けた」 (やっぱり、あの夢の女の子は彼女だったのか……) オレはその言葉に焦りを感じ、全身から冷や汗がどっと噴き出す様な妙な感覚に襲われた。 「貴方に血を吸われて私は堕天使として迫害され、神王は私を神界から追放した。分かるこの悔しさが?」 心の中で罪悪感に浸っていたオレに向かって、彼女は背中から漆黒に染まった鳥の翼の様なものを広げる。それは夕日に照らされ、どことなく美しい。 「私をこんな姿にさせた貴方が憎い」 彼女の眼はもはや、悲しみと憎悪の泪で濡れている。 「ごめん……」 謝って済む問題では無い事くらい分かっている。だけど……だけど、謝らずにはいられなかった。 彼女は無言のまま、制服の懐から不意に銀光の煌めく物体を取り出すと、オレに向けて構えた。 「な、何するんだ」 彼女が取り出したのは、リボルバー式の銀色の短銃。 「良君、貴方には悪いけど死んで」 「え? ちょ、ちょっと待ってくれ」 「さよなら」 月影さんは悲しげに一言そう呟くと、短銃の引き金を躊躇い無く引いた。 バンっと小さく轟きながら、放たれた銀弾が直進する。 その瞬間オレは制服の合間から短刀を無意識の内に取り出し、身体へ着弾する寸前に短刀の刀身を使って、銀弾を彼女の足元に跳ね返す。 「くっ!」 彼女は少々難色を示しつつ、素早く銃口をオレに構えようとした。しかしその時には、オレはもう彼女の懐まで近づいていて銃口はオレの体を捕らえきれないでいた。 「きゃっ」 月影さんの短な悲鳴が聞こえる。 それは一瞬の出来事であった。気が付いた時にはオレは既に彼女を押し倒し、あのオリハルコンの短刀を彼女の喉元へと刃を突き付けていた。その幅僅か1cm。 「はぁはぁ」 唯成らぬ緊張感と額から流れる冷や汗。心拍数は急上昇し、心臓がドクン、ドクンと激しく脈打つ。 血飛沫の舞う中、短刀を振るう自分。殺戮を楽しむ幼いオレの後ろには、無残な屍達が朱の大地に静かに横たわっている。 ――彼女の喉へ刃を向けた瞬間、遠く彼方からどこか懐かしくて、酷く恐ろしい記憶が、一瞬の内に頭の中へと襲い掛かってきた。 (あの夢のオレと一緒だ……) オレの意思に反してオレの体は、知らぬ間に勝手に動いていた。 頭の中で彼女を殺すか生かすか攻めぎ合っている。それは『意思が』と言うよりも、『本能が』と言った方が正しい。 「どうしたの? トドメを刺すなら早くして」 彼女はもはや死ぬ覚悟を決めたらしい。しかし、その一言でオレはハッと正気に戻った。そして素早く横に身を退くと、仰向けになって大の字に転がった。 「どうなってしまったんだ? 一体、オレの体は……」 夕焼けの朱に包まれた空を見上げながら、オレは嘆く。 知らない記憶を身体は確かに覚えている。オレの過去の延長上に確かに何かがあったのだ。しかし、それを知る術はない。 「記憶を忘れていても、体は鈍っていない様ね?」 彼女は体を起こし、オレの隣に腰を降ろした。 「どうしたんだよ? 復讐の方は」 オレは首だけ彼女の方に向ける。 「無理よ、貴方には勝てない。目覚めていない良君に勝てなくて、目覚めた良君に勝てる筈ないもの……」 彼女はその場に踞る。彼女の涙声が聞こえた。 「復讐も出来ない。殺す事も出来ない。一体、私は誰を憎めば良いの? 神様? 貴方? それとも自分?」 オレは仰向けのままだった体を起こすと、悲しみに暮れる彼女の方へと振り返る。 「オレを憎めばいい。オレにはそれくらいしか、君の復讐心を鎮める事は出来ないのだから」 「良君を憎むなんて、憎みたくても、憎めないよ……。だから……いっそうの事、良君を殺したかった」 彼女は翼をふわりと消しながら悲しく囁いた。 「どうして憎めないんだ?」 オレは、踞っている彼女を見つめる。 「だって、今も良君の事が……」 彼女がそう言いかけた時、突如携帯電話の着信音らしき音が屋上に鳴り響いた。勿論、オレの携帯電話では無い。と言う事は、彼女の携帯電話だろうか? 「はい、久遠です」 彼女は泣いて赤くなった眼をしながら、制服の内ポケットから携帯電話を取り出すと電話へと出た。 『あら? ケータイに出られるって事は、まだ春日君に殺されていないって事ね』 ふとオレは、彼女の携帯電話の向こうに居る相手が気になった。どうも何処かで聞いたことのある声なのだ。 「あの、何か用事ですか?」 彼女は少し怒った様に答える。 『あ、ごめんなさい。ええと、奴等が動いたわ』 その言葉に彼女の表情が急変した。 「奴等と言うと『世界秩序機関』ですか?」 『ええ。霞ヶ崎駅から西に少し行くと建設中の高層ビルがあるでしょ? 奴は今、そこに居るわ。異常な反応をキャッチしたの』 「分かりました。すぐに向かいます」 彼女は携帯電話を折り畳むと、すっくと立ち上がった。 「お、おい。どこ行くんだよ?」 「敵の所よ」 オレの問いに涙を拭い、鋭い目付きで力強く彼女は答えると、今一度、あの漆黒の翼を広げた。そして、フェンスを軽々と飛び越えて携帯電話で話していた方角へと飛び去ってしまった。 独り屋上に取り残されたオレ。 (敵?) ふと彼女のその言葉が気になった。 「西の建設中の高層ビルが、どうのこうのって言ってたな……よし!」 何か特別な思いがある訳ではなかったのだが、彼女の事が幾分気になって思いきって跡を追うと心に決めたのだ。 急いで校門を潜ると、彼女が言っていた『敵』の居る方向へと向かった。 影法師が次第に色濃くなっていく中、西からの夕焼けで真紅に町並みは彩られ東からは紺藍の夕闇が徐々に迫っている。そんな凩が吹く秋の夕暮れは肌寒く、どこか哀感が漂う。 何と無くだが、オレには何かを感じ取っていた。 レアリアが言っていた『大きな争い』とはこの事なのだろうか?――何れにせよ、何か不吉な予感がするのは間違いない。 オレは彼女の跡を追い、目的地へと急いだ。 |
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