第一章 第五話『幻影の死神、現る』 「ふっ。『黒き翼の狩人』と呼ばれたお前も、捕まえてしまえばただの堕天使か」 オレがその場に着いた時には、既に久遠は彼女が『敵』と言っていた奴に捕まっていた。 「放して!」 彼女が愛用している白銀の短銃――『悪魔狩りの短銃』――は奴の足元にあり、久遠は届かぬ手を延ばして必死にもがいていた。 そいつは皮膚が緑で服は着ておらず、身体の下半分は足の様な根を数本持ち、花と葉を生い茂らせている。上半身は人間の身体と類似していて、その植物にも似た裸体を曝していた。 見た目は男。いやこの場合、雄花と言うべきか? そんな事はどうでもいい、今は彼女を助けないと。 久遠は奴の根本から伸びる触手の様な蔓に手足を縛られ、身動きが封じられていた。 「人間が我に何用か?」 奴は俺の存在に気が付いたらしく、横目でちらりとオレに視線を送る。 「ば、化け物め。彼女を放せ!」 オレは恐怖を押し殺し、懐から短刀を取り出すと構えた。 「それは理に適った注文だな。しかし、お前の要求は呑めない。何故ならば、今からこの女を殺すからだ。そうだな、死体くらいならお前にくれてやっても良いが、この女の死体を受け取る時には、お前も死体になっているだろう」 ニヤリと奴は不気味に笑うと、針の様に先が尖った蔓を久遠の顔の前に差し出す。 「い、いや。来ないで」 彼女は咄嗟に奴に何をされるか悟ったらしい。身を震わせ慄きながら、か細く叫んだ。 「や、やめろぉ」 しかし、時既に遅し。 オレが叫んだ時にはもう、奴のその蔓が彼女の左の横腹に襲い掛かっていた。 「いやぁぁぁぁぁっ」 恐怖と絶望の最中、久遠の絶叫がビルの谷間にこだまする。奴の蔓は見事その体を貫き、その痛みで彼女は苦痛に顔を歪めていた。 奴のその蔓を引き抜くと、ぶしゅうと奇怪な音と共に鮮血が飛び散りドクッドクッと血液が脈打ちながらみるみる制服を朱に染めてゆく。 「うう、くっ」 痛みに耐え切れずに悶え苦しみ、嗚咽を漏らしている彼女の声を聞くのはあまりにも忍びない。 「見るが良い、この苦痛に歪んだ美しい顔を」 奴はニヤニヤ笑いながらオレの方を向く。 その時、オレの中で何かが弾け飛んだ――耐え難い感情が込み上げて来る。それはもはや、怒り等という安易な言葉では言い表わせられない。 「楽しいかよ?」 「何?」 「そんな事して……楽しいかって聞いてるんだよ!」 奴のその言葉にいつしかオレは、我を忘れて奴に斬り掛かっていた。奴は瞬時に事態を悟ると、迎撃するかの様に数本の針状の蔓がオレを迎え撃つ。 オレは短刀を逆手に持つと一本目を切り落とし、二本目を横から切断する。そして、今度は左右からの追撃を真横に跳び何とか避ける。 「はぁはぁ」 日頃運動をしていないため、少し動いただけでもう息切れが始まっていた。 「良……く、ん」 虚ろな目で久遠はオレを見つめている。 「今助けるから、気をしっかり持て」 オレは彼女の方を一瞥する。出血の量からしてかなり危険な状態だ。気がつけば既に足元には血の海が広がっていた。 「よそ見をする余裕が有るのか小僧?」 奴はそう言うと更に蔓を更に延ばしてくる。しかしオレはもう、避けるので精一杯だった。 と、その時、 「うわっ」 もう一本の背後から延びる蔓に気付くのが遅れ、見事にオレまで捕まってしまった。 「くくく、身の程知らずのガキ供め、我等『世界秩序機関』に盾突くとどうなるか、死をもって体験させてやろう。まずは女、貴様からだ」 そう言って、奴は月影の顔の近くまで顔を近づけると大きく口を開ける。そして、口からあの触手の様な蔓をゆっくりと吐き出しながら、彼女の唇を割って体内へと侵入を開始した。 「ん、んぁ。くぅっ」 その苦しさから久遠は言葉に成らない悲鳴を上げる。 「ふっ、見ているがいい。こうしてこの女の腹腸を食い破り、苦痛を与えながら死んでゆく様を」 眼に溜まった涙が、今にも流れ落ちそうだった。 「んー、んー」 奴の触手らしき蔓が彼女の腹部辺りまで達すると、忙しく動き出す。蔓が蠢く毎に久遠は激しく身体を反らせ、苦痛に耐え兼ね涙で頬を濡らしていた。その度、貫かれた傷口から鮮血が勢いよく流れ出る。 「やめろ、やるならオレにしろ。彼女を解き放て!」 彼女の涙が流れれば流れる程、何も出来ない自分が情けなく思えてきた。 胸が締め付けられる思いの中、それでもオレは中吊りにされながらも無意味な抵抗を必死に繰り返す。 (このままでは二人とも奴に殺される) 何とか彼女だけでも助け出したい。しかし短刀の刃は蔓に届かず、捕まっている以上どうにもならなかった。 「世界に災いを齎す者よ、今度は私が相手になろう」 そんな時、辺りに聞き覚えのある優雅な声が響いた。 声の主はどうやらビルの上。見上げれば遥か彼方に蒼紫のローブの様なコートを着た『あの』少年が立っている。 彼はそう言うとビルの上から何かを放った。次の瞬間、無数の黒い影の刃はオレと久遠の蔓を見事に切断する。 「だっ、誰だ!」 奴は彼に向かって歯軋りしながら叫んだ。 「私の名か? 私の名はロスト。誕生しては消滅を繰り返す哀れな存在だ」 そう言った時には、既に彼がビルからこちらに音も無く着地していた。 「そうだな、君は早くその娘を連れてこの場から逃げるた方が良い」 オレは彼に言われるがまま「げほげほ」と噎せている久遠の肩を担ぎ、彼女の白銀の短銃を拾い上げるとその場から急いで離れた。 「き、貴様『幻影の死神』か?」 その私の言葉に奴は驚き、声を荒げる。 「過去の情報にそんな情報は無い。まぁお前達『世界秩序機関』が私を何と呼んでいるのかは知らないが、どうやらまたお前達が活動を開始したのは本当らしいな」 私はゆっくり『人型植物オベロン』に近づいて行く。 「馬鹿め。死ね」 その瞬間、オベロンは勝利の笑みを浮かべると針状の蔓を一瞬の内に私の身体へ見事に突き刺した。蔓は私の体を意図も簡単に貫き、攻撃は後ろのビルの壁にまで及んでいる。 「死んだかロスト? 所詮貴様も我等の敵ではない」 しかし、私はニヤリと微笑んだ。 「オベロンよ、私の身体は幻影に過ぎない。お前の物理的攻撃を受けたところで、絶対に『肉体的』な『死』には至らない。よって、お前達が私に勝つ方法は皆無だ。潔く降伏する事を薦める」 私は蔓が体に突き刺さったまま、平然と奴に歩み寄りそう告げた。奴も少し驚いてはいたが、また直ぐに敵意を剥き出しにしてくる。 「我に降伏しろだと? ふっ、我々『世界秩序機関』に『降伏』のニ文字など無い!」 オベロンはそう啖呵を切ると、虚しい雄叫びを上げながら蔓による無駄な攻撃を繰り返し続けた。 「お前達はどうして無意味な争いを続けようとする? 降伏がなければ、その先は死しかないのだぞ」 「我等は死を恐れぬ者。お前達等に慈悲を受けるくらいなら、死んだ方がマシと言うものだ!」 私は奴の目の前に立つと、少し脅しをかけながら説得しようと試みたのだが、奴は説得に応じようとはしない。 私は遂に説得を諦め、オベロンに判決を下す。 「愚かな……」 私は小さくそう囁くと、奴の胸元に手刀を軽く差し込んだ。 「がはぁっ」 その瞬間、奴は血らしき物を口から吐き散らすと、見る見るうちに奴の体は枯れ果ててゆく。そして終いには干からびて、冷たい秋風と共に闇夜が差し迫る空へと凩に吹かれる木葉の様に舞い上がり、跡形も無く消え失せてしまった。 ――私には『死想回路』と言うものが見える。 『死想回路』には主に、『自殺願望』・『他殺願望』・『天寿天命』・『終命死点』の4つがあり、それぞれが身体の回路上に燈が浮かび上がる様に感じるのだ。 今、奴を殺す為に見ていた燈は『終命死点』。 生ける者の身体には必ず『終命死点』と言う点穴があり、その場所を突くと『死』が体中の回路に走る。そして回路の隅々まで『死』が満ち、その全てが『死』に直結する時、『終命』に至る。 私にはその点穴を垣間見る事が出来る。 故に奴等――『世界秩序機関』は私を『幻影の死神』などと呼んでいるのかもしれない……。 「さて、彼等は無事逃げ切れただろうか? まぁ彼等には彼女等が付き添っているから無事だとは思うが……」 私はローブを秋風で翻しながら踵を返すと、また社会の闇へと溶け込む様に姿を消した。 (一体あれは何だったんだよ!) 見慣れぬ物を見た時、人は驚き恐怖し、逃げ出すのが一般的ではなかろうか? こんなにも立ち向かって行けるものだろうか? やはりオレは彼女の言うとおり、殺人を快楽にしていた吸血鬼だったのだろうか? 気がつけば、オレの心の中で数多の疑問が渦巻いていた。しかし、今はその答えを探っている暇は無い。 オレは久遠の肩を担いで、何とか近くの公園まで辿り着いた。 「久遠、大丈夫か?」 「あ、良君。今日出会って初めて、私の名前呼んでくれた。何だか嬉しいな……」 彼女は力無い笑みを零しながら答える。 オレは公園のベンチへ久遠を寝かせると、持っていたハンカチで傷口を押さえた。出血は酷く、ハンカチはみるみる朱に染まってゆく。 「大丈夫、傷は浅いからすぐ良くなる。だからもう、しゃべるな」 嘘も方便とは良く言ったものだ。 しかし言葉とは裏腹に出血が止まる気配は一向に無く、彼女の顔色も悪くなる一方でオレは焦りと不安を募らせていた。 「ごめんなさい……」 唐突に彼女は囁き始めた。断片的ではあるが擦れた声で彼女は話し続ける。 「良君を殺したいほど、心底憎んでた……。来る日も来る日も、貴方を殺す事を夢見て……。でも、私の良君への本音はいつも違ってた。この手で殺したくて殺したくて仕方ないくらいに……貴方を今でも愛してたの……」 「でもきっとこれは良君を殺そうとした、私に対して神様が用意した天罰ね……」 最後にそう告げると、彼女のその虚ろな瞳がそっと閉じかけようとしていた。 「おい、久遠。しっかりしろ! 死ぬな! 謝らなきゃならなかったのはお前じゃない。寧ろ、このオレの方だ。オレはまだお前に謝罪してないんだぞ、だから……だから、死ぬなよ……」 もはや最後の方は涙で声が詰まり、言葉にはなっていなかった。 オレが久遠の傍らで、急いで携帯電話で救急車を呼ぼうとしたその時、背後から聞きなれた声が聞こえてきた。 「あっ、いたいた。良、こんな所に居たの?」 その声にオレが振り返ると、そこには加原の姿があった。 「夏美、大至急救急車だ!! この子の命が危ないんだ!」 オレは怒り狂ったかの様に泣き叫ぶ。 「知ってたわよ。久遠の事でしょ?」 そんなオレに反して加原は、ベンチまで来ると苦しそうな表情をしている久遠をちらりと眺めただけに過ぎなかった。 「へ?」 な、何で加原が彼女の事を知っているのだろう? 「夏美。助けに来るの、遅いじゃない?」 加原の声が聞こえたのだろうか弱々しい声で久遠が呟いた。 「ごめんね、久遠。ロストを探しに行ってたの。でも、もう私が来たから大丈夫。だから安心して」 「そう……」 月影は微かに呟くとそのまま気絶してしまった。 「お、おい。しっかりしろ!」 慌てているオレに変わって、加原は久遠の体を掬う様に持ち上げる。 「大丈夫。この子の身体は、ちょっとやそっとじゃ死なない体なのよ。出血さえ止まれば取り敢えず安心。近くに如月部長のマンションがあるから、良も着いて来て」 加原は至って普通だった。オレはそんな彼女に言われるがまま、加原の後を着いて行く事にした。 ――ピンポーン マンションのインターホンが静かに鳴る。 加原はとある一つの扉の前まで来ると立ち止まり、両手が塞がっているためオレに押すよう指示を促した。 「どうぞ」 その一言に扉を開けると、奥から部長の声が聞こえてきた。 「二人とも早く寄って」 その声にオレはこの時初めて、先程の久遠の電話の相手が誰だったのかを悟った。そう、部長だったのだ。 「部長、良と久遠を連れてきました」 「お邪魔します」 どかどかと加原が久遠を抱いたまま如月部長宅へ入っていった後に、オレは小声で囁きながら遠慮深く上がる。部長の自宅という事もあって、何だか恐れ多い。 部長の部屋は綺麗に片付けられていて、どこも清潔に保たれていた。 「春日君、いらっしゃい」 リビングらしき部屋に通されたオレは、そこで唖然となった。 数台のデスクトップ型のパソコンが小奇麗に並べられどれもが起動している。恰もそれはちょっとした研究室の様に見える。 久遠は奥のベッドに寝かされて、加原が包帯やら消毒液やらを運んでいた。 「彼女が手当てするみたいね。私達は別の部屋へ行きましょ」 オレは如月部長に案内されながらリビングを出ると、隣の応接室の様な立派な造りの部屋に招かれた。 ふかふかのソファにオレは部長と向かい合いながら座るや否や、部長は何か意味ありげな顔付きでこちらを見てきた。 「一つ、貴方に言っておきたい事があるの」 「はぁ」 オレはつられて生返事をする。 「私達に協力してくれないかしら?」 「と、言いますと?」 部長は軽く腕組をしながら話を続けた。 「貴方もさっき見たでしょ? あの化け物を。あれは『世界秩序機関』と名乗る国際テロ集団が開発した人型植物『オベロン』。そしてそのテロ集団を駆逐する為に創設されたのが私達、『神聖協和連盟』よ。もっとも私達は本部から配属された、ただの東亜地区の派遣員だけどね」 彼女の口からは難しそうな単語が流れてくる。 「世界秩序機関? 神聖協和連盟? オベロン?」 「そう、貴方の知らない所で総てが動いているのよ」 そこまで言うと部長は唐突に立ち上がり、窓側へ歩み寄る。 「そして、貴方もその大きな組織の中にいるの。とても重要な人物として、敵も私達も貴方の力を欲している」 窓まで達すると彼女はくるりと身を返し、窓に寄り掛かった。 「オレの……力、ですか?」 「ええ、あの『黒き翼の狩人』と謳われた久遠ちゃんが、まだ覚醒してもいない貴方を殺せなかった事が何よりの証拠よ。貴方が敵の手に落ちたら、もう私達には勝ち目がないの。だからお願い、協力して」 部長の真剣な眼差しがオレに注がれているのは分かっている。しかしオレは、唐突過ぎるこの訳の分からない話しにどう答えれば良いのか、返事を見出せずにいた。 |
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