第二章 第八話『雨模様は恋模様』 『じゃあ明日、近くの公園に9時30分まで来て(^-^)/』 俺はそのまま送信ボタンを押した。 大事な文章を載せたメールは、果たして届くのだろうか? やはり直接電話すべきだったのかもしれない。いつもの在り来りな送信画面を眺めながら、少し不安になる。 画面には『送信完了』が表示されている。 既に送信されたメールについて、あれこれ考えても仕方ない。後は彼女からの返事を待つしかなかった。 『うん分かった。明、また明日ね』 数分後、氷護からの返信のメールが届いた。 (よし!) 俺は心が躍る思いだった。 氷護と付き合うようになってからは、何だか世界がぐっと広くなった気がした。 いや、違う。狭かった視野が、彼女の持つ『ある』ものが加わり、視野が広く見える様になったのだ。 それは決して欠点や短所と言った意味では無い。唯、自分に無いもの、欠けているものを彼女は持っている。そして俺は氷護からそれらを補おうとしている。 しかし、自分にもそれが何かは分からない。唯、唐突に思うだけなのだ。 (早く会いたい) 彼女がいない今、その自分に足りないものが疼く。一刻も早く足りない何かを補いたくて仕方ない衝動に駆られていた。 俺は携帯電話を机の上に置き、ベッドに横たわる。それから間もなくして部屋の電気を消すと、今日は早めに就寝することにした。 「――アイス・ファントムか。奴もまた殺さなければならぬ者か……」 深夜、漆黒の中で私は独り呟いた。 都市の夜とは何とも虚しいものだ。繁華街を過ぎればそこは無人の暗黒。私はそんな虚しい市街地の中を歩いていた。 夜風が、私の影像(ビジョン)に冷たく吹き掛けてくる。それに併せて時折ローブの裾が激しく揺れる。 私は行く宛も無く彷徨しながら、過去の情報からアイス・ファントムのデータを引き出していた。 ――今までの過去から推測して、恐らく今回が13人目。 13とはえらく不吉な数字だ。『世界』は私を試そうとしているのだろうか? はたまた、ただの偶然か……。 どちらにしろ、避けて通れはしないのだ。私も先代同様、奴の骸を越えてゆくしかない。 (私は今、ここに居る。今、この一瞬に存在する。そして奴等もまたこの街にいる。同じ月の下にいる。いつか巡り会えたなら――その時は奴等の運が尽きた時だ) 私はそんな事を考えながら遥かな夜空を見上げた。月明かりに照らされた西の夜空に、暗く淀んだ雲が流れてくる。 「明日は、雨かな?」 私はそんな雲を見ながら、ゆっくりと囁いた。 今日は生憎の雨。曇よりとした陰惨な雨雲から、冷たい秋雨が容赦なく降り注ぐ。 俺は少し身震いしながら、携帯電話のサブ画面を見た。 「あと15分もあるよな」 時刻は朝の9時15分。氷護との待ち合わせの時間までまだ十分にあった。俺は傘を挿しつつ公園へと向かう。 家を出た頃は小雨だった雨も遂に本降りとなり、アスファルトへと激しく打ち付ける。ようやくたどり着いた時には、もはや足元は雨でぐちゃぐちゃだった。 俺は雨が当たらない様な場所を探し、公園内をぐるりと見回した。するとそこには、爽やか蒼のワンピースの上にピンクのカーディガンを羽織った氷護の姿があった。 しかし……、 「お、おい。氷護!」 見れば、傘も挿さずに雨の中で呆然と立ち尽くしている彼女がそこに居た。 「あっ。明」 俺の声に彼女は気付いたらしく、俺の方へ振り向く。 「な、何してるんだよ!」 俺は急いで彼女に駆け寄った。 「ごめん……なさい。早く明に会いたくて、ずっと……待っていたの」 氷護は雨滴に濡れ、怯えた小動物の様に震えながら恐る恐る答える。 直ぐさま俺は彼女に着ていた上着を被せ、手を握った。思った通り、指先は既に冷え切っている。 「取り敢えず、雨の当たんない様な所に行こう?」 「うん」 コクリと頷く氷護に持っていた傘を押し付けると、彼女のその冷たくなった手を頑なに握り締め、俺達はどこか雨宿りの出来る場所へと急いだ。 「明、ありがとう……」 車の通りが少ないガード下、彼女は温かい缶コーヒーを受け取りながら囁く。ここは車の騒音より、雨が当たる音の方が寧ろ騒音に近かった。 「映画館にでも行こうか?」 俺は隣に座っている彼女の顔を覗き込みながら、これからの行き先について尋ねた。 デートの定番。と言うよりも、一番無難なお決まりのコースだ。 「ええ、良いわよ」 「よし、じゃあそうしよう」 場所は、霞ヶ崎駅の駅前通りの映画館。いつもは名城高校へ向かう為、名城駅で降りるのだが、霞ヶ崎駅はそこから更に行った所にある駅である。言うなれば、ここ東霞ヶ崎駅から乗車して二つ目の駅だ。 彼女が缶コーヒーを飲み干すのを待って、それから俺達は映画館へと向かった。 霞ヶ崎駅に到着しても、天候は一向に良くなろうとはしていなかった。それでも幾分先程よりは弱まった様だが、相変わらず雨は降り続けている。 秋の雨は長雨が多いと聞く。きっとこの雨もまた長いのだろう。しかし、俺達にはそんな天気でも良かった、愛を育む為には。 一つ傘の下、俺と氷護とで相合い傘だ。 「な、なんだか照れるなぁ」 俺は少し紅潮させ齷齪しながら、ピッタリと寄り添う彼女に告げた。 「そう? 私は相合い傘なんて初めてだけど、全然平気よ?」 その言葉通り、氷護は全くと言って良い程落ち着いている。本当に初めてか疑わしいくらいだった。 それとも、女の子という者は誰でもそうなのだろうか? 生憎、男心しか持たない俺にはその真意が分からない。 駅から程なくして、俺達は映画館にたどり着いた。 日曜日と言うこともあり混雑しているとも思ったのだが、天気が悪い為か客足はいつもより少ないといったところだ。 「氷護はどれが見たい?」 「明に任せる」 俺が彼女に何か選択肢を与えると、必ずと言ってよい程決まってこの返答。 恥ずかしがり屋なのか引込思案なのか、それとも何も考えていないのか……。 いつもそう言って軽く流されてしまうのだ。だから俺は仕方なしに、そんな彼女の分まで憂慮して選択肢を選んでいた。 今まではそうでも困る事は無かった。だが、今回ばかりは少し訳が違う。 人にはそれぞれ趣味というものがある。 見たくもない映画に長時間付き合わされるのは、この上なく退屈な事だろう。だから今日だけは、せめて彼女に決めてもらいたかった。 「それじゃ困るよ。今日は、氷護へのお礼の為なんだから、氷護が主役なんだよ?」 「え、でも……」 俺が少し困った顔をすると、彼女もまた困った顔をした。 「俺の事は気にしなくて良いからさ」 最後の一押しに、彼女の心は遂に陥落した。 「じゃあ、あれが見たい」 そう言ってチケット売場の上の方にある、映画の予告ムービーが流れているテレビを指しながら、彼女は俺の服の裾を引っ張った。 画面には『惑星戦争 ダーク・ペーターの逆襲』や『ファイティング・モニ 最期の決闘』など、今話題の映画の予告カットが頻りに流されていた。 その中で氷護が見たいと言った映画は、どうやらイギリスの現代ホラーファンタジー的サスペンス映画で、内容は現代に甦った死神が次々と人を襲い、魂を抜いて殺してゆく……その死神を二人の刑事が追うと言うものだった。 「よし、それにしよう!」 『死神の行方』と言う名のこの手の映画は、取り立て俺も嫌いとは思わない。 早速チケットを購入し、途中俺はポップコーンとジュースを氷護の分も買ってスクリーンの方へと向かった。 「何だがどきどきするなぁ」 ホラーが苦手と言う訳ではない。暗闇で彼女と二人で見る恐怖シーンにどきどきするのだ――と、女の子なら怖がるものだとばかり俺は思っていたのだが、案外彼女から返ってきた返事は、 「そう……かな?」 と言う、至って普通の感じ。と、言わんばかりの答えで、終いには疑問詞までつく有り様。俺の期待は見事に外れたのだった。 いやいや、まだ映画は始まってはいない。期待こそは外れたが、予想はまだ分からない。予想こそ的中するかもしれない。 俺は一縷の希望を抱き、映画が始まるのを待った。 暫くすると部屋が暗くなり、前方の大きなスクリーンに映画会社のタイトルロゴが映し出される。 かくして『死神の行方』は遂に始まったのだ。 「明って、結構怖がりさんなのね」 映画館を出ると、氷護は小悪魔の様な笑みを浮かべ意地悪そう俺に話し掛けてきた。 「悪かったね、怖がりで」 俺は些か不貞腐れながら、映画館の暗闇での出来事を頭の中で思い出していた。 徐々に忍び寄る死神。その手には大きな魂を狩る大鎌が握られていた……。 ヒロインである若い女性はそんな死神の存在に気付かず唯、悠々と古めかしいロンドンの夜の街を歩いている。 そして、次の瞬間……。 ――とまぁ、こんなシーンがあったのだが、俺は無意識のうちに氷護の片手を握り、片時も離さないで彼女の手を強く握り締めてしまった様だ。 「明、どうしたの?」 彼女の不安そうな小さな囁き声に俺は、やっと自分が知らない内に氷護の手を強く握っていた事に気付き、そして直ぐに手を離した。 「ごめん……」 心配そうに俺の顔を覗き込んでいる彼女に、そっと呟く。 そんな怯える俺の様子を見てなのだろうか? すると彼女はくすくすと静かに笑った。 「恐いのなら、ずっと握っててあげる」 そう言って、するすると彼女の細く長い繊弱な指が、俺の手を求めて暗闇の中で蠢く。そして、俺の手のありかを見付けるとするりと中へ入ってきた。 「くすぐったいよ、氷護」 俺は少し戸惑いながらも、彼女の手を受け入れた。 俺の左手に氷護の右手。何故かその後はもう恐くなかった。 「明、次はドコ行くの?」 氷護の言葉に俺は頭の中から、こっち(現在)に意識を戻す。 雨は小雨へと成ってはいたが、足元は水溜まりがあちこちに侵蝕し、映画館へ来る時より酷かった。 「時間も時間だし、何か食べない?」 時は12時30分を過ぎようとしている。ちょうど映画館の近くには、ハンバーガーチェーン店がある。俺達はそこへ立ち寄る事にした。 彼女の冷たい瞳のその先に俺の姿が映る……。 時々見せる、氷護の哀しそうな表情。恰もそれは、世界の終焉が訪れた絶望感と孤独感の真只中に居る様な、果てしなく哀しみに満ちた相好だ。 「明、どうかしたの?」 俺の視線に気が付いた氷護が、憂色を示す。 「あ、いや。何でもないよ……」 俺は口篭ると、残り少なくなったハンバーガーを急いで一気に頬張った。もう彼女にあれこれと悟られたくはない。 すると彼女は澄んだ瞳をこちらに向け、静かに囁いた。 「そんな悲しい目をしないで……。明が悲しむ必要なんて無い。哀しむのは私だけで十分よ」 「え?」 彼女の突然の一言が心の奥底に刺さり、チクリと胸が痛む。 「ううん、気にしないで。それより、午後はどうするの?」 「えーと……、どうしよっか?」 正直俺もどうしようかと考えていた。 俺は苦笑しながら、辺りに思い当たる節はないかと頭の中で探っていた。 まさか、これにてさよなら。……なんて事はないとは思うが、この近くでどこかデートに最適な場所などあっただろうか? すると氷護は、食べ終えたハンバーガーの包み紙をくしゃりと丸め、アイスコーヒーを飲み干すと俺に尋ねてきた。 「ねぇ、私のアパートに来てみない?」 「は?」 面食らった様に唖然とする俺。 こ、これはもしやアレのお誘いか? だ、駄目だ。真っ昼間からそんなセクシュアルな想像をしては……。大体、彼女はそんな性格じゃない。 「私、独り暮らしだし……。明は嫌?」 俺は、愚かな期待と否定とを頭の中で延々と繰り返しながら勝手な妄想から抜け出そうと頭を左右に振っていると、彼女は少し怪訝そうな顔付きで尋ねてきた。 「そ、そんな事はないよ。じゃあ、お言葉に甘えて行こうかな?」 「決まりね」 今度は先程の悲しみに満ちた顔付きとは、まるで別人の様な明るい笑顔を振り撒き、彼女は笑った。 行き先が決まったところで俺達は店内を後にする。外へ出れば雨はもうやんでいた。 (理性を保てよ、俺) 自分に言い聞かせている俺。まったく情けない話しだ。 ――雨上がりの昼下がり。かくして俺は、氷護のアパートへと向かう事となった。 |
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